親友と会ってきた

日々徒然
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こんにちは♩

半袖の上からマウンテンパーカーを着て出かける毎日です。気温を読むのが難しい〜〜

 

友達と気軽にハグできない世界になってから、1年以上がすぎました。今までの価値観が破壊されていくような感覚があります。

でも、どれだけ時代が進んでも、生身の人間の触れ合いはわたしにとってはとっても大切なことは変わりません。

 

国のガイドラインや、規制などもありますので一概には言えませんが、わたしの考えは、連絡をとっていて相手と自分のテンションが一緒だったら、気をつけながらも会う、です。

 

ということで、会ってきました〜〜😊♡♡

 

ともだち100人できるかな♫の呪い

 

いきなり過激ですみません。笑

小学校入学時に歌った「ともだち100人できるかな」

100人欲しい人はそれでいいと思うけど、わたしは100人も友達いません。

 

ほんっとーーーーーに仲が良い、信頼できる、波長があう、親友と言える友達は、2人かな。

もちろん仲の良い友達はもうちょっといますが、なんの気兼ねもなく会えるのは2人です。

 

親友の定義って?

 

親友

親友(しんゆう)とは、とても仲がいい友人を差す。

同音をもじった派生語に、心から理解し合える友人の事を心友、信じあえる友人の事を信友などが使われることがある。真摯に向き合っている真実の友人を真友と言うこともある。

Wikipediaより

 

 

わたしの親友の定義を僭越ながら述べさせていただくと、

自然体で一緒にいられる

対等である

困っている時にお金をあげられる(返ってこなくていい)

尊敬できる

でしょうか。順位はなくてどれも大切です。

 

自然体でいられるは、その文字のとおりですね。波長があうとか気があうとか笑いのツボが同じとかそういうのです。

 

対等であるは、先輩後輩みたいに上下関係がなくて、性格の違いはあってもお互いが対等ということ。

 

困っている時にお金をあげられる、そして返ってこなくていいと思えるかですね。これって相手に期待しないことと繋がっていて、大事だと思っています。期待する人間関係ってしんどくないですか?

あと見返りを求めてしまう人間関係って、相手のことが好きかどうかより損得が先に来てしまっている気もします。

だから、わたしは親友に対しては、全然なんの気負いもなくお金をあげれます。お金は分かりやすいけど、お金以外のものもそうです。あげたいと思ったらあげて、見返りを求めないです。

 

尊敬できるは、ちょっと憧れも入ってるかもしれないです。相手のすごいところを素直に尊敬して、自分もこうなりたいと思う部分があること。

 

 

結局、友達に限らず人間関係って、”人として”合う人が自分のまわりに残っていくのかもですね。

 

 

嬉しかったこと

 

わたしの2人の親友の1人が(Yちゃんとします)こないだ、お礼にと言ってSABONのスクラブと手紙をくれました。

(Yちゃん最近引っ越したので、トイレのカフェカーテンを縫ってプレゼントしました。)

 

 

その手紙の中に

「〇〇(私の名前)は淡々と話しているように見えて、相手への思いやりも込めて話しているのが分かるから、とっても響く。相手へのジャッジメントがない。そして、いつも助けられています。ありがとう。」

と書いてくれていて、思わず涙が出そうになりました。ていうかちょっと出ました。

 

最近少し、迷走というか人生に迷う時があって落ち込んだりもしていたので、きっと励ますために手紙をくれたのだと思いますが、その思いも全部含めてめちゃくちゃ嬉しかったです。

 

友達ってありがたい!!

おばあちゃんになって白髪になっても仲良くしようねって言い合ってます。笑

 

 

それではまた明日。おっつ〜♩

 

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