こんにちは♩
どうして病気になったのかな〜とか考えているときに、ある言葉に出会います。
シリーズになっています→①、②、③、④、⑤、⑥、⑦、⑧、⑨、⑩
現実は全て自分自身が創造している
「現実は全て自分自身が創造している。」
これ、どうです?
ちょっと過激に聞こえますよね。
こんな上司も、あんな仕事も、なっちゃった病気も
全部自分自身で作り出していますヨ!
な〜んて言われたらちょっとムカって思っちゃうかも。
でも、なんかこの言葉を知った時に、根拠はないけど、
「そうかもしれないな。」って思ったんですよ。
しんどい仕事も、厳しい上司も、病気でさえも、自分で創ってしまったのならば、これから先の現実は自分で選んでいけるし好きなように創造できるんだな、とも思いました。
全て自分が引き寄せている、ならこれからは好きなものを選んでいけば良いんじゃんってね。こういうところは楽観的。笑
そして、地球上にいる限り行動することが何にしても大切だけれど、まず精神状態が整っていないと、何をやるにしてもうまくいきにくいということも知りました。
精神状態か〜〜。確かに「〜〜しなければならない・〜〜でないといけない」という思いは多いかもだな、と自分でも自覚があったので、楽しく生きるために必要ない思い込みや観念は気付いた時に捨てていこうって思いました。
そして、自分の負の感情に蓋をして生きてきた感じがあるので、それをちゃんと解消していこうとも思いました。
いらない観念の見つけ方
これは簡単です。
モヤっとした時。これです。
例えばわたしのタイムリーな例だと「親が物を溜め込んでリビングに物が溢れている。」ことにモヤっとしたとします。モヤどころかチョーイライラしているかもしれません。笑
「無駄なものを持っているのは人生の浪費」とか、自分の家でないのに「綺麗にしてくれないと困る!」くらいに思っていたりするかも。
でも、綺麗の基準は人それぞれ違うし、親は物を所有して幸せや安心を感じるタイプかもしれません。
そして他人に「無駄なものにお金を使って・・・」とモヤモヤしていると、自分もちょっとした贅沢にお金を使うときに罪悪感が出てきたりします。
不思議なんですけど、相手のことが許せないと、それがそのまま自分にブーメランで自分のことも許せなくなっちゃうんですよね。
脳は主語を区別できないとも言いますね。「誰々が〇〇しているのはダメ。」と考えているつもりでも、”誰々”という主語を認識できないため、ネガティブな思考のみがインプットされていくという。
これ冷静に考えたらかなり怖いです。誰かに対して負のジャッジをするたびに、ただただその負の考え方が自分の脳みそに蓄積され続けるわけですから。
こえーーー。
こうやってモヤっとした時に流さず「なんでモヤってしたんだろう?」と自分に問いかけると、そのモヤの元になっている観念が見えてきます。
それがもし、自分にとっていらない観念ならもうやめよってしていったらいいんじゃないかなって思います。
モヤモヤしたことをノートに書き出して、自分の観念に気付いて、もういらないって思ったら塗りつぶしてみたり、「やめます!」って宣言してみたり、破って捨てたり、燃やしたり、とにかくそうやってやってみるとスッキリするし、実際に捨てれた気持ちになります。
また出てきたりするのですが、わたしはその度に捨てています。しつこいやつもあります。でもいらなかったら捨てています。
もうね、こころの筋トレだな〜〜と思って、諦めずエクササイズです。笑
負のループにならないために
上記の例だと、「親には親の考え方があるから、綺麗にして欲しいのを相手に押し付けるのはやめよう。」って思ったとして、でも、綺麗にしてほしいという要望はしっかり言います。
以前は、「相手に押し付けるのはダメ。」と思って、全てのことを自己完結させて何も言わないっていうことをやってしまっていました。
だけど、それだと自分を責めてしまうよになって、逆にかなりしんどかったので、要望はちゃんと口に出すように気をつけています。
要望は言うけど、するのは相手の自由だから押し付けない、というバランスです。
あと自分でできることを片っぱしからやっていく、もです。
こういった話は「卵が先か、ニワトリが先か」みたいな感じになっちゃうのですが、いらない観念はバシバシ捨てていって、でも同時に自分の要望(感情も)はその場その場で素直に出していく、良いバランスを常に模索しています。
そんな感じです。
入院の話が終わったので、いったんひと段落とします。
こころの話は折に触れてまた書きたいと思います。
ではまた♡
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